陸別が好き。
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24 パークゴルフ発祥の地・幕別町に生まれた田中さん。帯広の高校を卒業して、民間の建設会社に就職して3年目のとき、同じ高校を出た弟さんが足寄町役場に就職することになった。そのとき、隣接する陸別町に建設関係の技術職がいないため、「なんとか面接だけでも受けてくれないか」と頼まれ、もし断ったら「弟も落とされるのではないか」と思い、足取り重く外断熱工法の共同研究開発 田中さんと言えば「外断熱工法」というイメージがすっかり定着しているほど、陸別の暮らしに革命を起こした人物である。陸別町の公営住宅をはじめ、役場庁舎や小学校もこの工法で作られているほか、現在では、北海道でも当たり前となった外断熱工法の仕組みや誕生について伺った。面接を受けたという。それからの展開は早く、「いつから来てくれるんだ」と半ば強引に話が進み、3月から陸別町役場に勤務することになった。最初は施設課に配属されたが、その後、民生課、銀河の森振興室長、産業振興課長などを経て、最後は副町長として金澤町長(当時)を支えた田中さん。陸別町に残した功績の数々について話を伺った。 「昭和60年頃までの道内の公営住宅は、ブロックかコンクリート造でした。そして、室内側に断熱材を張っていたんだけど、部屋でストーブを炊いたりすると、湿度がどんどん上がってきて、室内側の断熱材は濡れ、そして凍り断熱性能を失い結露が発生するんです。そうすると、カビが生えたり布団がしけたりして、衛生的にもだんだん悪くなっちゃう。これはダメ6外断熱工法/りくべつ鉄道田中芳美さん陸別歴47年廃線の決まった銀河線を動態保存の形で残すまで陸別に走っていたという証しをInterview陸別はじめてものがたり。

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