陸別が好き。
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26そういう人が急に来て、『残せ、動態保存してくれ』って。最初は動態保存というのがよくわからなくて、動く保存だなというぐらいの感覚でとらえていたんです」。 最後まで存続の道を探った陸別町の思いもむなしく、ついに廃線が決まってしまう。そこに浮上したのが、鉄道車両を動態保存という形で残すという案であった。 「何とかこの財産を使って町おこしをするというか、金儲けみたいなことではなく、銀河線に関わるものを集約して、ここに走っていたんだという証しを最後まで廃月、95年の歴史に幕を閉じることとなった。当時、ふるさと銀河線は、JRから転換した第三セクターの北海道ちほく高原鉄道によって運営されていたが、利用客の減少などから、経営は悪化の一途を辿り、北海道、沿線自治体を構成員とする「ふるさと銀河線関係者協議会」によって存廃の議論が開始される。民間会社による低コスト運営を提案するなど、最後まで廃線反対の立場を貫き通した金澤町長(当時)とともに、存続運動やその後の動態保存に尽力した一人が田中さんである。その経緯について詳しく伺った。 「銀河線の関係市町村や北海道を含めて、存続させるために民間を含めていろんな経営の方向性を探ったんだけど、コストパフォーマンスが成り立たないという結論になり、最終的に知事を中心とした判断で『廃線やむなし』というようになった。しかし、存続運動をやっていたときに、全国の鉄道ファンとか„鉄ちゃん〝みたいな人たちも入って応援してくれたんだけど、線に反対したものとして残していきたいなあという想いから始まったんです」。 その後、田中さんは動態保存に向けて、資金集めや副知事の説得、さまざまな条件や基準をクリアするために現・副町長とともに奔走、鉄道保存展示施設の開業にこぎつけた。現在では、陸別駅構内で、実際に銀河線を走っていた列車の「乗車体験」や「運転体験」などができる、観光鉄道「ふるさと銀河線りくべつ鉄道」として、町外だけでなく、道外から鉄道ファンをはじめ、多くの人が集まる人気スポットとなっている。 田中さんは、「陸別は人口が少ないが故に人の気持ちが通じる、助け合っていくという感じがある。だから、しばれフェスティバルのようなイベントができたり、銀河線の動態保存をやっているんだろうな」と話す。陸別の人たちの熱い思いからできたふるさと銀河線りくべつ鉄道。その実現に至るまでには多くの時間と労力を費やしたが、それ以上に、人を呼ぶための観光資源として、これからも陸別町の発展に一役買ってくれることだろう。体験型の公園施設として整備されている「りくべつ鉄道」。ふるさと銀阿線運行当時の駅名標。

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