陸別が好き。
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6夜7時までびっしりで、途中休憩もありますが、こき使われるんです。白夜なので暗くならず、晩飯後に残業ということもありました。そういった面では辛かったけど、やっていることは面白かった。普段やらないことをやっていて、現地にいるときは、雑念がなかったというか、南極のことしか頭になかった。生活は日本とそんなに変わらないし、夜9時を過ぎれば自由時間もある。昭和基地にはバーがあるんです。過去の隊の人たちが持ってきたお酒が置いてあって、週3回くらい開設してくれるんです。そんなホッとするひと時もありました」。ハードな雪上車での移動生活 一方、遠野さんは、昭和基地の近辺にある拠点から雪上車で3週間かけてドームふじ基地に行き、そこで約1ヵ月間、天体観測施設の望遠鏡を乗せる足場を作り、また3週間かけて昭和基地まで戻ってくるというハードな生活。雪上車での移動中はもちろん風呂なし、食事も昭和基地で作ったフリーズドライのようなものを車のヒーターの熱で温めて食べるという簡素なもの。その中でも大変だったのはどのようなことだろうか。 「雪上車での移動中、食事当番が順番に回ってくるのですが、私遠野さんは過酷な状況の中、ドームふじ基地で天体観測施設の土台を作った。は全然料理をしないので、温めるくらいしかできないんですよ。でも、みんな結構工夫して作ったりするので、その辺が一番困りました。あとはトイレかな。そりの中にブースがあって、それをひっぱっていくんですが、中に18リッター缶があって、それが簡易トイレなんです。寒いので、してしまえばすぐ臭いが消えるというか、結構すぐ固まるんですね」。 昭和基地で文化的な生活を送っていた空井さんとは対照的であるが、遠野さんは「寒さや不便なことが逆にすごく新鮮で面白いなあと思っていた」と明るく話す。南極で生きた陸別での経験 マイナス40~50℃になることもある南極での生活。とくにドームふじ基地は、富士山と同じくらいの高さにあり、酸素も少ないという過酷な環境である。しかし、日本一寒い陸別町の寒さを普段から体験している二人は、寒さに慣れていた

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