陸別が好き。
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16 電機連合と陸別町との事業が30周年の記念すべき節目を迎えた。この事業がスタートしたのは、平成元年の夏であった。地方自治体である陸別町と電気労連(当時)との提携、そのキャタリストとして民間のシンクタンクである(株)エイデル研究所とが「三者事業提携」の調印式を行ってのスタートであった。異色の組合せによる事業提携は、恐らく当時の日本ではされていた。労働組合の生き残りをかけたテーマの議論である。 北海道の過疎の町でユニオンリーダー研修をやってみようという当初のプランは、傘下の組合員の子どもたちのサマーキャンプを行い、子どもたちの指導体験を通じてリーダー研修を行おうというプランに行き着くこととなった。しかし、なぜ陸別なのかの合意形成が必要である。初めての事例だっただろうと思う。 事業の内容は、電気労連音響部会が当時推進していた「UI」(ユニオン・アイデンティティ)活動を具現化するプロジェクトの一つに位置づけられるものだった。春闘や労働条件の改善は労働組合の重要な活動領域ではあるが、それだけでは存在意義を果たせない。新しい労働組合の活動のあり方を模索するなかで様々な議論が展開 昭和63年の夏、音響部会の「陸別視察団」が初めて陸別町を訪れた。視察団の報告は〝陸別でなければならない理由が見出せない〟というものだったという。しかし、これまでの活動や既成概念に囚われることなく大胆に活動を再構築していかなければならないという「UI」の発想がそこで作動した。「だから陸別だ」という声のもとで組織決定がなされ、新しい関係創7株式会社エイデル研究所元代表取締役東京陸別会会長宮崎民雄さん自然・人のコラボレーション、そして出会いの創造「UI」の発想で実現したプロジェクトは平成から令和の時代へ陸別事業30周年あいさつ

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